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大谷翔平はベーブルースを超えている?記録を比較!

大谷翔平さんとベーブルースさんの共通点といえば、「二刀流」であることですよね。

大谷翔平さんが試合で結果を残す前は、「二刀流といえばベーブルース」と言われるほどの成績を残していました。しかし、今となっては大谷翔平さんもとんでもない記録の数々を打ち立てていますよね。「ベーブルースの再来だ」とも世間では言われています。

この記事では、大谷翔平さんとベーブルースさんの記録を比較して、大谷翔平さんが超えているのかどうかを検証しています!

大谷翔平はベーブルース超え?

大谷翔平さんはベーブルースさんを超えたとも言われています。

理由としては、「100本塁打以上放った選手の歴代最多奪三振記録を更新した」という記録面から超えたと言われています。

大谷翔平さんは2023年5月9日に、メジャーで通算502奪三振を記録しました。ベーブルースさんの持っていた記録が501奪三振だったため、今までにあった記録を上回りました。

ピッチャーとしてだけ活躍している選手なら他にも502奪三振を記録した人は他にもいますが、100本塁打以上放った(打者としても活躍した)上で、三振を500も取っている選手はベーブルースさんと大谷翔平さんの他にいません。

大谷翔平さんは快挙とも言える成績を残したのです。きっとこの記録は今後も破られることはないでしょうし、今後も大谷翔平さんの選手生命はまだ続くため、どこまで記録が伸びていくのか期待ですよね!

ベーブルースとはどんな人?

ベーブルースさんは「野球の神様」として呼ばれるほどの偉大な選手です。もともとマイナースポーツだった野球を人気のスポーツへ導いたのもベーブルースさんと言われています。所属していたヤンキースでは、ベーブルースさんが付けていた背番号3は今でも永久欠番となっています。

もともとベーブルースさんはピッチャーとしてレッドソックスに入団しました。入団してから4年で「1年の中で10勝し、10本塁打以上を放つ」という成績を残しました。この成績は大谷翔平さんが2022年に達成するまでは誰にも抜かれていない成績でした。

のちにレッドソックス球団の金銭的な事情などからベーブルースさんは1919年の末にヤンキースにトレードに出されます。ヤンキースに入団したときからはすでにピッチャーとしてではなく、バッターとして試合に出ていました。バッターとして前年度にホームランを29本も打ち、メジャーリーグのホームラン記録を塗り替えていたからです。

そして、1927年には1年でホームランを60本も打つという記録を作りました。しかし、この記録は2001年にバリーボンズさんが73本のホームランを打って記録を塗り替えたため、ベーブルースさんがトップの記録ではありません。

ピッチャーとしての活躍経験もあり記録を残した上で、バッターとしての活躍をしたのは大谷翔平さんが出てくるまではベーブルースさんの他にいませんでした。

生涯で714本塁打、94勝をあげたという点で、二刀流といえばベーブルースさんと言われていました。

ベーブルースは二刀流ではなかった?

ベーブルースさんは二刀流として活躍した、ともいえますが、実際に二刀流として活躍していたのは2年だけでした。

上記でも紹介した通り、ベーブルースさんは最初はピッチャーとして入団し、のちにバッターのみに転向しています。10試合以上にピッチャーとして出場し、300打席以上入ったのは1918年、1919年の2年間のみでした。

1918年の成績は、ホームラン20本、打率.300、13勝7敗、防御率2.22

1919年の成績は、ホームラン29本、打率.322、9勝5敗、防御率2.97

2年の記録を比較すると、バッターとしての成績が上がるとピッチャーとしての成績が下がっています。

二刀流として試合に出ていた期間も短いため、真の二刀流ではなかったとも言われています。

大谷翔平の記録を比較!

大谷翔平さんの2年間記録を比較すると

2021年の成績は、ホームラン46本、打率.257、9勝2敗、防御率3.18

2022年の成績は、ホームラン34本、打率.273、15勝9敗、防御率2.33

大谷翔平さんはホームラン数は減ったもののバッターの成績も、ピッチャーとしての成績も上り調子です。

加えて、2023年シーズンもホームラン数は7月の時点で36本打っています。2022年のホームラン数をすでに超えているのです。

大谷翔平さんは高校を卒業し、日本ハムに入団したときから二刀流として活躍してきました。

二刀流の活躍だけを見るとすでに大谷翔平さんはベーブルースさんを超えていると言ってもいいのかもしれませんね。

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