大谷翔平

大谷翔平はなぜ野茂英雄の背番号16を選んだのか?

2023年のWBCにて大谷翔平さんの背番号は16でした。

現在所属しているエンゼルスでは背番号17をつけているのにも関わらず、なぜ背番号16を大谷翔平さんは選んだのでしょうか?

実はこの背番号16というのは、日本人大リーガーの野茂英雄さんが過去にドジャースでつけていた番号です。

大谷翔平さんと背番号16には昔から繋がりがあります。過去の繋がりも踏まえてこの記事では紹介しているので最後まで読み進めてみていただけたら幸いです。

大谷翔平の尊敬する人は野茂英雄

メジャーでピッチング、バッティング共に活躍している大谷翔平さんですが、尊敬する人に野茂英雄さんの名前を挙げています。

過去に大谷翔平さんは、2014年11月に開催された日米野球の際に背番号16をつけていました。

背番号16のイメージを訊かれた大谷翔平さんは「野茂さんしかいないです」と話していました。

野茂英雄さんはメジャーリーガーとして、背番号16をつけてドジャースで活躍をしていました。

大谷翔平さんも含め、野茂英雄さんの存在は、日本人選手の憧れです。

では、大谷翔平さんも尊敬する野茂英雄さんとはどんな人なのでしょうか。

野茂英雄のすごさ、尊敬される理由とは?

野茂英雄さんは、ドラフトで8球団から指名されるほどの注目の選手でした。


プロ入り後は5年間、近鉄(現在のオリックスバファローズ)でエースとして活躍し、当時の日本球界において最強の右腕の一人と言って良い選手でした。

しかし、野茂英雄さんが日本プロ野球で活躍していた頃、日本人がメジャーで活躍することは難しいと言われていました。


メジャーで活躍できない理由として言われていた原因は、1964年に村上雅則さんがジャイアンツで2年間プレーしていたものの、それ以降に日本人の選手がメジャーに挑戦したことがありませんでした。


メジャーリーグの中で日本のプロ野球の扱いは、はマイナーや独立リーグ扱いとなっています。要するにレベルがそんなに高くないという扱いでした。


そのため、メジャー側から日本人選手が活躍しそうだからという理由で日本人選手を獲得することもありませんでした。


野茂英雄さんがメジャーに挑戦することはある意味異例の挑戦でした。


異例の挑戦にも関わらず、野茂英雄さんはメジャーで輝かしい活躍をしてきました。その活躍ぶりを以下で紹介します。


メジャーリーグでの野茂英雄の活躍

野茂英雄さんがメジャーリーグに挑戦した当初はマイナー契約でしたが、すぐにメジャーに昇格し、昇格後は活躍に活躍を重ね、新人王を取得、更に翌年には、「ノーヒットノーラン」を達成します。


それまでメジャーリーグで日本人選手でノーヒットノーランを達成した選手はいませんでした。しかも2回も達成しています。そう簡単にノーヒットノーランは達成できる記録ではないため、2回も達成したことはすごいですよね。

野茂は当時を振り返り、自分が生まれた国ではない場所で挑戦するのだから、結果が出るまでは悪くも言われるだろうし、いろいろなことがあるだろうけど、それを当たり前と思おうと決めていたと語っていました。

自分が生まれた国ではない場所で挑戦するのだから、結果が出るまでは悪くも言われるだろうし、いろいろなことがあるだろうけど、それを当たり前と思おうと決めていた

https://next.rikunabi.com/journal/20141024/


周りからの評判は、「活躍できない」「通用するはずがない」などのマイナスなことばかり。しかし、周囲のマイナス評判を覆し、上記の通り野茂英雄さんはメジャーで大活躍します。


また野茂英雄さんの代名詞ともいえる「トルネード投法」と呼ばれる投球フォームは、アメリカの野球ファンにとって、見たこともない投球フォームだったこともあり、彼らの心をグッと掴みました。私もあの独特な投球フォームが好きで、真似したこともあります。

この活躍により、1995年には日本とアメリカで鮮烈な「野茂フィーバー」が炸裂しました。アメリカの実況も「ノーモ!」と叫んでいましたね。

野茂英雄さんのメジャー挑戦と成功により、自分も挑戦してみたいと思った日本人選手はたくさんいたことでしょう。実際、野茂英雄さんの活躍以降、メジャー挑戦する日本人選手の数は飛躍的に増えました。

メジャーへの道を切り開いた野茂英雄さんの功績は非常に大きいです。だから現在でも多くの日本人選手から尊敬されているのです。


大谷翔平が野茂英雄の背番号16を選んだ理由

大谷翔平さんがWBCの時に背番号16を選んだのは、過去に自身が選んだ番号に由来しています。

2014年11月に日米野球が行われ、大谷翔平さんは代表として初めて選ばれました。

2014年の日米野球の時には大谷翔平さんの年齢は20歳で最年少でした。

先輩の選手から背番号を選んでいくという通例があったため、大谷翔平さんは残った番号から背番号を決めました。

それが背番号16だったのです。

大谷翔平さんが背番号16を選んだ時に「背番号16でイメージするのは?」と問われたところ、「野茂英雄さんしかいないです」と答えていました。

大谷翔平さんも野茂英雄さんに憧れて背番号16を選んだのでしょう。

大谷翔平以外で侍ジャパンで背番号16をつけた選手は?

今や侍ジャパンの背番号16は大谷翔平さんといえるくらい、なじみの深いものになってきました。

歴代のWBC侍ジャパンの選手で背番号16をつけた選手を紹介します。

  • 涌井秀章(2009)
  • 今村猛(2013)

以上の2選手です。

涌井秀章さんも今村猛さんも投手として活躍しています。


大谷翔平さんも投手として、侍ジャパンでも、日本でも、メジャーでも活躍しています。


侍ジャパンの背番号16は投手の番号とも言えます。

大谷翔平と背番号16の繋がり

大谷翔平さんは2014年に背番号16をつけてから、日本代表でプレーするときは、背番号16をつけていました。

2015年のプレミア12でも背番号16をつけています。

2017年のWBCにも大谷翔平さんは日本代表として出場する予定だったものの、右足首を痛めてしまったため、代表を辞退していました。

辞退したものの、2017年のWBCでも大谷翔平さんは背番号16をつける予定でした。

大谷翔平さんの中では、「大谷翔平の日本代表の背番号=16」というようになっていたのです。

今後も日本代表として大谷翔平さんが試合に出るとなったら、背番号16をつけるのか注目ですね!

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