大谷翔平

大谷翔平の歴史まとめ!日本ハム時代は伝説の記録づくし?

現在はメジャーリーグのエンゼルスにて二刀流として活躍している大谷翔平さんですが、日本にいる時代は北海道日本ハムファイターズに所属していました。

花巻東高校を卒業してから、メジャー志望があったものの、日本ハムからの熱いアプローチを受け入団を決めた大谷翔平さん。高卒からどんな記録を残してきたのでしょうか?

この記事では大谷翔平さんの歴史ともいうことのできる、北海道日本ハムファイターズ時代の伝説の記録などについてまとめています。ぜひ最後までお読みください。

大谷翔平のプロ1年目の伝説の記録

大谷翔平さんは1年目の活躍として、以下のことを成し遂げました。

  • 高卒のルーキーで開幕スタメン&マルチ安打達成
  • 1軍初登板で球速157km/hを記録
  • 交流戦で5番ピッチャーで出場
  • 高卒のルーキーで初勝利&初ホームランを記録

大谷翔平さんは開幕試合では8番ライトで試合に出場し、2安打1打点のマルチ安打を達成しました。高卒ルーキーの開幕戦でのマルチ安打の記録は、53年ぶりで史上二人目となる快挙でした。

ピッチャーとして1軍初登板となったのが5月23日の交流戦(ヤクルト戦)でした。5回2失点で大谷翔平さん自身に勝ち負けは付きませんでしたが、球速157km/hを記録しています。この記録は、ルーキーの初登板での最速記録でした。

さらに、交流戦での記録です。交流戦のビジターゲーム(セ・リーグ主催試合)だと、DH制ではないため、大谷翔平さんは5番ピッチャーで試合に出場しました。ピッチャーが5番というクリーンアップを打つのは50年ぶりの出来事となり、世間を驚かせました。

大谷翔平さんは1年目から二刀流としての片鱗を見せ始めていました。ピッチャーとしては13試合に登板し、3勝0敗の記録を残しています。バッターとしては打率は.238、3本のホームラン、20打点を上げました。ピッチャーもバッターもそこまでいい記録を残したわけではありませんが、二刀流としての試合出場を続けていました。また、高卒ルーキーが初勝利&初ホームランを記録したのは、46年ぶりの快挙でした。

高卒1年目ながら世間を驚かせるような記録を作った大谷翔平さん。2年目以降はどんな記録になっていくのか楽しみですよね。では、以下もお読みください。

大谷翔平のプロ2年目の伝説の記録

大谷翔平さんは2年目の活躍として、以下のことを成し遂げました。

  • プロに入り、初の球速160km/h超え
  • 16個の三振を奪い、完封勝利
  • オールスターではピッチャー、バッターとして選出
  • オールスターで球速162km/hを記録
  • 公式戦でも球速162km/hを記録
  • トータルで2桁勝利&2桁のホームラン

大谷翔平さんが花巻東高校に在学していた際も160km/hを記録していたものの、プロに入ってからはまだ記録していませんでした。6月4日の広島戦にて球速160km/hを記録したのです。これはパ・リーグ史上で最速の記録となっています。

7月には1試合で16個の三振を奪い、1失点で切り抜け、完封勝利をしました。20歳0ヶ月で達成しましたが、その記録は日本プロ野球史上最年少の記録となっています。

オールスターでは、監督推薦にてピッチャーとして選出されました。プロ1年目ではファン投票にてバッター(外野手)として選出されたものの、2年目ではピッチャーとして選ばれたため、ピッチャーとして、バッターとしてどちらもオールスターに出場することになりました。ピッチャーとして出場した2014年では、球速162km/hを記録し、オールスター史上最速の記録となっています。しかし、オールスターは公式戦ではないため、幻の記録となっていました。

しかし、大谷翔平さんはこのままではとどまらず、10月5日に行われた楽天戦で、162km/hの球を投げました。公式戦で記録したため、日本プロ野球史上最速タイ記録を残しました。

1年間を通し、大谷翔平さんは投打で活躍をしてきました。そのため、11勝4敗という2桁勝利の記録を残しました。バッターとしては10本のホームランを打ったため、2桁勝利&2桁のホームランを記録し、プロ野球史上初の記録ともなりました。

当初は反対の声も多かった大谷翔平さんの二刀流計画ですが、周りを黙らせるような結果を残していて、さすが大谷翔平さんと思わせるような1年でした。

大谷翔平のプロ3年目の伝説の記録

大谷翔平さんは3年目の活躍として、以下のことを成し遂げました。

  • 年俸が1億円に到達
  • ピッチャーとして三冠を飾る

大谷翔平さんは前年に史上初の記録を成し遂げていたため、推定年俸が1億円に到達しました。高校を卒業して3年目で1億円プレイヤーになるとは凄すぎですよね!また、高卒3年目で1億円プレイヤーとなるのは、松坂大輔さん以来史上2人目の快挙です。

3年目のシーズンはバッターとしての成績は伸び悩んでしまいました(打率.202のホームランが5本)。しかし、ピッチャーとしては15勝5敗と最多勝記録を打ち立て、防御率も2.24の最優秀防御率を達成しました。そのため、最多勝、最高勝率、最優秀防御率の投手三冠を記録しています。

大谷翔平のプロ4年目の伝説の記録

大谷翔平さんは4年目の活躍として、以下のことを成し遂げました。

  • DHを解除し、6番ピッチャーでスタメン出場
  • 自身の持つ最速記録を更新し、球速165km/hを記録
  • 1番ピッチャーとして出場し、先頭打者ホームランを記録
  • 10勝100安打20本塁打を達成

大谷翔平さんの所属していた日本ハムはパ・リーグに属しているため、DH制のもと試合が行われています。そのため、大谷翔平さんがピッチャーとして打席にたつのは、DH制のないセ・リーグとの交流戦の時だけでした。しかし、4年目のシーズンでは大谷翔平さんはDHをおかずに6番ピッチャーとして試合に出場しました。この試合では、7回4安打1失点で勝ち投手となり、バッターとしては3安打を打つ猛打賞も記録していました。大谷翔平さんの二刀流としての凄さが窺えます。

交流戦にて自身の持つ162km/hの記録を更新し、まずは163km/hを記録しました。さらにはシーズン終盤の9月には164km/hを記録しました。そしてCSでは、165km/hの記録を出しています。この時、大谷翔平さんの記録は最速記録となっています。

DHを解除して試合に出たソフトバンク戦では、1番ピッチャーとして出場していました。この試合はソフトバンクがホームゲームだったため、日本ハムは先攻での攻撃でした。1回表の攻撃で、大谷翔平さんはなんと先頭打者ホームランを放ったのです。この記録は日本でもメジャーでもみたことのない記録でした。大谷翔平さんはこの試合では8回10奪三振とピッチャーとしてもいい記録を打ち立て、試合にも勝利しました。とんでもない記録を残してしまったため、もうすでに周りには敵なし状態とも言える状態です。

プロ4年目のシーズンは二刀流として大成功とも言えるような成績を残し、MVPとベストナインを獲得します。ピッチャーとしては10勝4敗、防御率は1.86を記録しました。バッターとしては打率.326,ホームランはなんと22本、67打点を挙げています。10勝100安打20本塁打を記録し、プロ野球史上初の記録となっています。

大谷翔平のプロ5年目の伝説の記録

大谷翔平さんは5年目の活躍として、以下のことを成し遂げました。

  • 日本最終戦での試合は、4番ピッチャーとして出場

大谷翔平さんは怪我の影響もあり、5年目となる2017年は自分の力を出し切ることができませんでした。ピッチャーとしては3勝、バッターとしては8本塁打にとどまっています。

しかし、日本最終戦となった試合では「4番ピッチャー」として試合に出場しました。ピッチャーが4番を務めるのは、66年ぶりとなる出来事です。試合は、ピッチャーとして10個の三振を奪い完封勝利、バッターとしては4打数1安打でした。

大谷翔平さんは日本では敵なしのような記録を作り、2018年からはメジャーに挑戦したのです。

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