大谷翔平

大谷翔平と宮城大弥はいつからの仲?タメ語で話している理由などを紹介!

現在メジャーリーグのエンゼルスに所属している大谷翔平さんと、オリックスバファローズに所属している宮城大弥さんはいつからの仲なのでしょうか?

大谷翔平さんと宮城大弥さんの年齢差は7歳もあるのですが、二人の仲は良好で、なんとタメ語で話す仲なのです!何がきっかけでタメ語で話すようになったのか気になりませんか?

この記事では、大谷翔平さんと宮城大弥さんの仲はいつから深まったのか、なぜタメ語で話すようになったのかのきっかけ、宮城大弥さんはどんな人なのかなどを紹介しています。ぜひ最後までお読みください!

大谷翔平と宮城大弥はいつからの仲?

大谷翔平さんと宮城大弥さんは2023年に開催されたWBCの侍ジャパンのメンバーで初めて一緒になりました。宮城大弥さんにとって大谷翔平さんは憧れの存在でした。

侍ジャパンのメンバーで一緒になってからは、宮城大弥さんの甘えたがりな性格(おねだり上手な性格)もあり、先輩からも好かれるようなキャラクターであるため、大谷翔平さんに対しても「いつ奢ってくれるんですか?」と話しかけたりしていて、仲良くなりました。

宮城大弥さんのおねだりもあってからか、2023年3月18日に大谷翔平さんがピッチャーの山本由伸さんや野手の村上宗隆さんやヌートバーさんと食事をする予定があったため、宮城大弥さんにも声がかかり、念願の食事会が叶いました。

憧れでもある大谷翔平さんに持ち前の先輩から愛される性格をぶつける宮城大弥さんは可愛いですね!大谷翔平さんもメジャーで活躍しているのにも関わらず、先輩ぶって偉ぶったりせず、若い選手としっかりコミュニケーションを取って仲を深めようとしていることが分かります。

なぜタメ語で話しているのか?

宮城大弥さんが7歳年下にあたるのにも関わらず、大谷翔平さんに対して「おはよう」などとタメ語で話しかけています。

タメ語で話すようになったきっかけは、宮城大弥さんが大谷翔平さんとトイレが一緒になったタイミングがあり、そこから始まったとのことです。宮城大弥さんが同世代の佐々木朗希さんと間違えて(それまで佐々木朗希さんと話していたため)大谷翔平さんに対して話しかけたのです。すぐに気づいた宮城大弥さんは「すみません」と謝り、大谷翔平さんも「面白かったからいいよ」とフランクに答えてくれました。

さらには大谷翔平さんの方から「タメ語でいいよ」と言ってくれたので、宮城大弥さんは大谷翔平さんと「翔平レッツゴー!」などタメ語で話すような関係性になりました。

大谷翔平さんは意外にも話しかけやすく、宮城大弥さんも明るい性格であるため、すぐに打ち解けました。大谷翔平さんの性格がWBCでピッチャー陣を盛り上げたともいえますよね。後輩に優しく接してくれるビッグスターがいることで、ピッチャー陣の底上げができたのだと思われます。

宮城大弥ってどんな人?

宮城大弥さんはオリックス・バファローズに所属する左ピッチャーです。2001年8月25日生まれの22歳で、佐々木朗希さんと同じ世代です。興南高校を卒業してから、ドラフト1位でオリックス・バファローズに入団しました。

プロ1年目はファームでウエスタンリーグ最多の6勝を挙げて、10月には1軍デビューし、高卒新人での最速のプロ初勝利を挙げます。2年目は開幕ローテーション入りを果たし、2ケタ勝利(13勝)を達成し、新人王を獲得しました。さらに3年目も2ケタ勝利を挙げて、2023年に行われたWBCのメンバーに選出されました。

野球は保育園の頃(4歳)から始めており、中学時代にはU-15の日本代表にも選ばれているほどの実力の持ち主です。高校時代もU-18の日本代表に選ばれています。

上記で大谷翔平さんとタメ語で話すエピソードでも出てきたように、令和の怪物とも呼ばれる佐々木朗希さんとは同世代でとても仲がいいです。あまりにも仲がいいため、「宮城くんとろーたん」グッズが発売されるほどファンからの人気もあります。

甘え上手でかまってちゃんな性格、さらにはおっとりとした顔がファンにも人気を集めています。可愛いですよね、宮城大弥さん。プロ野球選手らしからぬ可愛さはいろんな人を惹きつけるでしょう!

宮城大弥の高校時代の成績は?

宮城大弥さんが興南高校に在学していた1年夏、2年夏に甲子園出場をしています。びっくりすることに1年の春から宮城大弥さんはベンチ入りしているほどの実力がありました。甲子園常連校でもある興南高校で1年の春からベンチ入りするなんてすごいですよね。

投げては最速149km/hの本格派サウスポーでした。

1年の夏に出場した夏の県大会では全6試合に登板して、防御率は0.40という脅威の成績を残しています。さらに、初めて先発登板した夏の沖縄大会の決勝戦では、13個の三振を奪い、無死球で完投勝利を挙げました。1年生でここまで成績を残す選手はなかなかいません。甲子園に出場したものの、初戦の相手は強豪の智弁和歌山高校でした。強打なチームでもあるため、4回に2失点をすると、5回にはツーランホームランを打たれ、その後のリリーフ陣も崩れてしまったこともあって興南高校は初戦で敗退してしまいました。

2年の夏の甲子園では、初戦の土浦日大高校との試合で、ノーアウト満塁の場面でマウンドに上がりました。すると、最初のバッターを三振、次のバッターをピッチャーゴロゲッツーに取り、ピンチを救いました。

大きく目立った活躍として知られていたわけではありませんが、しっかりと1年次から成績を残していた宮城大弥さん。奪三振率も高く、2ケタ三振は当たり前のような投球をしていました。

-大谷翔平