大谷翔平

大谷翔平の原点は水沢リトル!少年時代について調査!

大谷翔平さんの原点の水沢リトル時代の話はご存じでしょうか?

大谷翔平さんは当時からバッターとしても、ピッチャーとしてもとんでもないエピソードを持っています。

また、メンタル面の強さも小学生顔負けでした。

この記事内で、大谷翔平さんのリトルリーグ時代のバッター、ピッチャーとしてのすごさ、メンタル面のすごさを紹介しています。

大谷翔平の原点は水沢リトル!バッター編

大谷翔平さんが初めて所属した少年野球チームが「水沢リトルリーグ」です。周りは田んぼや畑で、河川敷にグラウンドがあります。所属しているのは小学1年生から6年生の子どもたちです。

大谷翔平さんは小学2年生の時に水沢リトルに入団して、本格的に野球選手への道を歩み始めました。入団当初から、身長はほかの同学年の子どもよりも大きくて、運動神経もずば抜けて良かったです。水沢リトルの監督からも「(大谷翔平さんは)2学年分くらい大きかった」と話がありました。

ポジションは今もやっているピッチャーで、3番バッターでした。

水沢リトル時代、バッターとしてホームランを連発していました。水沢リトルのグラウンドは、ホームベースから外野のフェンスまで大体60メートルほどあるのにもかかわらず、大谷翔平さんはさらに20メートルを超えるほどのホームランを打っていました。当時から大谷翔平さんのバッティング力の凄さがわかります。

大谷翔平さんがホームランを連発するため、相手チームからも警戒の意味を込めて、長打が出にくいように外角ばかり攻められていました。しかし、そんな対策にも大谷翔平さんはものともせず、ホームランを連発していました。

小学6年生の時に出場したホームラン競争では、周りは中学1年生の4番が出場していたのにもかかわらず、他の選手に大差をつけて勝ちました。15スイング制で、11本のホームランを打ち優勝しています。他の選手は3本打つのがやっとでした。

子どもの頃から、すでに現在の大谷翔平さんの能力の一部が見えていました。ボールを川まで飛ばして、何個も無くなったというエピソードもあります。バッティング力が凄すぎますよね!

大谷翔平の原点は水沢リトル!ピッチャー編

ピッチャーとしては、小学5年生で球速が110km/hを記録していました。

110km/hというのは、大体中学生でエースになれるレベルの速さです。それを5年生で達成してしまうのは、さすが大谷翔平さんですよね!

リトルリーグでの試合は6回制となっているため、1試合の中のアウトはトータルで18個です。そのうちの17個を三振でアウトにした試合も中にはありました。変化球を混ぜないとストレートだけでは勝てない世界ですが、大谷翔平さんは速球が武器だったため、1試合全てストレートのみで勝負したこともあり、勝つこともできていました。

今では変化球も多彩に織り交ぜてアウトをとっていく大谷翔平さんですが、小学生時代はストレート主体のピッチングでした。それでも勝ててしまうのが大谷翔平さんの凄さです。

大谷翔平の少年時代のメンタル面

大谷翔平さんは技術もすごかったですが、メンタル面が凄かったと言われています。

小学生くらいだと人よりうまいと天狗になりがちですが、大谷翔平さんは謙虚に練習を重ねていました。誰にも負けたくないという思いを持ち、練習に全てを捧げているような感じで一生懸命取り組んでいました。

ピッチャーとしてヒットを打たれることもありましたが、その次は三振を取ったり、バッターとして凡打になってしまったあとは、ホームランを打ったりと、精神面の強さが出ていました。

大谷翔平さんが一生懸命練習したことによって、周りのチームメイトも練習に全力で取り組み、大谷翔平さんが6年生の時に初めて全国大会へ出場することが叶いました。

今も練習をしっかり行って技術の向上に努めている大谷翔平さんの原点が、この水沢リトルにありました。

-大谷翔平